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この田んぼの向こうから、奉納楽が行列して神社へ到着します。
県道から鳥居をくぐって石段を登ると、立派な門があります。
これはネットにあった写真です。皆さんお化粧をして、ワイシャツにネクタイ姿です。
楽の笛や太鼓に合わせ、舞を奉納されます。
今年はあいにくの雨で、打ち上げ花火は中止らしく、あとの予定が良くわかりませんでした。
茅の輪を8の字に潜りお参りをしました。
坂下阿蘇神社の狛犬は中々カワユイです。
神社の左手を250mほど登ると、坂下城跡があるそうです。
この田んぼの向こう、車が停まっているところに川があり、
そこらあたりで打ち上げ花火がある予定だったそうですが、
雨で参拝者が少なく、露店は手持ち無沙汰です。
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同窓会長の報告によりますと、4月からの「南高の杜」は忙しくなります。
詩吟の会が月2回、お花の教室が月2回、英語で話そう会、俳句会と開催されます。
また、いつものように毎月10日と22日は開室日です。
4月は、昨年みんなの藏ギャラリーで行った「南関高校生絵画展」を
南関町関町商店街の「まちの駅 ゆた〜っと」で行います。ぜひご来館をお願いします。
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手前の道路は、左へ行くと高速道路の南関インターを通って大牟田方面へ。
その奥の道路は、高速道路で左が福岡方面、右が熊本方面です。
福山の里は、高速道路と国道443号から東へ、山懐に抱かれた静かな三角地域です。
すぐ近くに高速道路の南関インターチェンジ、コンビニ、交番、小学校がありいい所です。
この写真の右手あたりに、福山九郎兵衛の墓がグーグル地図にありますが、確認していません。
福山は大津山のツヅラ嶽城に近く、その門前に町がありました。現在も小字で古町と呼んでいます。
また今は廃線になっていますが、筑後からの鉄道の駅「南の関」がありました。
福山のメイン集落です。
ポカポカ陽気に、スミレは咲き春爛漫です。
北には大津山、
東に亀山(障子嶽?)。
福山には3カ所の湧水があるそうです。福山ん出水 障子嶽の亀井神社境内にあり。
また他に神社が、英彦山神社、お稲荷さん、天満宮などあります。(南関町史より)
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今月は現地研修で、南島原です。有明フェリーの都合でいつもより30分早く8時出発です。
集合場所のうから館駐車場では、早くも桜🌸満開の木があります。
有明フェリーの長洲港では、カモメが見送りです。
実はこのために食パンの耳58円を持ってきました。小さくちぎって投げると、
上手に口ばしで受け取ります。
手につまんでいるとそれに食いつきます。
満腹したカモメが無賃乗船して休憩中です。
今日の天気はかなり怪しかったのですが、ちょっと晴れ間も出ました。
普賢岳、平成新山、眉山、雲が掛かっています。
多比良港で下船し、延々と島原半島を南下し、3時間近くかかって南端の口之津に着きました。
この口之津には「口之津ショッピングセンター サンピア」があり、
色々店舗運営などを教えてもらいお世話になりました。
また、途中の南島原市西有家町のショッピングセンター「パロス」にもお世話になっています。
以前、口之津歴史資料館に行きましたが、今回は別の所に新装された
「口之津歴史民俗資料館」に行きました。
副館長の方から説明をして頂きましたが時間が足らずゆっくりできませんでした。
次の見学地は「有馬キリシタン遺産記念館」です。
原城・天草一揆がメインの展示です。
昼食は豪華に旅館の大広間で、タコの刺身、わかめそうめん、
液状の茶わん蒸し(?固まりそこなった)、・・・
すぐ近くの原城跡見学です。
すぐ近くに、天草の湯島(談合島)が見えます。
天草四郎の像があります。彼は本当に大衆を扇動したのでしょうか、
それともシンボルとして祭り上げられて踊らされていたのでしょうか。
一揆は宗教弾圧への宗教一揆なのか、年貢が厳しくて農民一揆なのか、
天草四郎が美化されているように見えるのですが。
道の駅です。30数年前のことですが、火山は怖い。
たしか南関まで火山灰が降ったと記憶しています。
建物が屋根まで火砕流で埋まっています。
長洲港に5時着です。なんとか天気に恵まれました。
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ちょっとカメラの勉強をして、手動でピント合わせを頑張ってみました。
我が家の裏に、雑草のように咲くムラサキカタバミと思いますが。葉は三つ葉です。
ハナニラ。雑草のように咲きます。
ここからは「シズヨガーデン」の花です。
ツワブキは秋に渡って来るチョウチョのアサギマダラが来る時に咲きますが、
これはツワブキに似ています。何の花?
ボケはぐっさりと咲くけど、好きです。
水仙が色々咲いています。それぞれ名前があるでしょうが?
ラッパスイセンも色々と色違いがあります。
ホトケノザが風で揺れて、ピント合わせが難しい。曇って来たので萎みがちです。
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谷崎グループホーム、デイサービス、介護付き有料老人ホーム、
サービス付き高齢者向け住宅などのある施設周辺には、お花が色々咲いています。
これはハーブ系でしょうか、間もなくびっしりと咲くのでは。
木の早い芝桜が早くも咲き始めています。
タンポポは、黄色が外来種で、
白い色のタンポポが日本古来の在来種と聞いたことがありますが。
水仙も種類が多いですね。
クリスマスローズ、名前がいいですね。
ホトケノザが花盛りです。
菜の花。菜の花はブロッコリーや大根白菜なども同じような花が咲くようです。
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福岡にある神社の分社でしょうか。
みかん畑を5分ほど登ると参道の階段があります。
ここは熊本県から福岡県の大牟田市上床になります。大牟田はかって石炭の町でした。
参道左の崖には、石炭の地層が現れています。
火をつけたら燃えるのでしょうか。
小高くなった頂上に宮地嶽神社があります。
入口の看板に書いてあった、加藤清正と立花宗茂の案内です。
これが加藤清正の冑(かぶと)岩です。
これが立花宗茂の烏帽子岩(えぼしいわ)です。
南関町関村からホテルセキアへ上り坂です。向こうは東の山々です。阿蘇の方向です。
急に阿蘇の中岳から噴煙が高く昇りました。東北へ流れています。
中岳、高岳へ登っている人は灰だらけになるのでは。
これは南関町相ノ谷、第三小学校の少し西北の国道443号線で、トラックが畑にコケています。
ここは国道なのにえらく狭くなっていて危ない所です。
うから館の西の道端に「ツクシの子が恥ずかし気に顔を出しています♪」
「コブシ咲くあの丘・・♪」は、肥猪村です。
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南関を8時に出て、前原インターを9時過ぎに降り、9時20分に立石山が見えてきました。
実は昨年の夏、調べもせず海水から塩を作る工場があると聞き、
ナビに入れたけど案内しないので行き着かなかった「またいちの塩」はこの山の向こう側でした。
立石山らしく、石が立っています。
トンビがカワユイ。弁当を食べ始めたら3羽でクルリと輪を描いて、ピーヒョロと催促します。
私達の頭ギリギリに下降してきます。
卵焼きを千切って5回投げたら、2回は足でキャッチしました。
そしてしばらくしてキャッチしそこなった3個を拾いに降りてきました。
素晴らしい快晴で、暖かい良い天気です。
ジェンダーフリーの世の中ですが、メンバーの中に晴れ??がいて、
1月の三池山も登り始めは小雨が降っていたのに、頂上が近づいたら晴れました。
なお翌日の2月19日は一日中雨でした。ラッキー。
芥屋(けや)海水浴場から登り始めます。海抜0メートルからです。
なだらかな登山道と思いきや!
ロッククライミングばりの急登です。楽しい!
コンパスが短い私には、どこに足を着こうかと思案しながら登ります。
一番目のビューポイントに着きました。半島の突端に芥屋の大門が尖がって見えます。
遊覧船があるのですが、以前平日に行ったら「芥屋の大門遊覧船」は休みでした。
少し登って10分で二番目のビューポイントです。
頂上が見えてきました。大きな立石が見えます。
犬を連れた人が追い越していきました。犬は山登りが大好きです。
ポインターとテリアかな?
三番目のビューポイント。だいぶ高くまで登りました。
これが下から見た立石でしょうか。
大きな岩の下に、鳥居があって何か祀ってあります。ありがたい後光が射しています。
やっと頂上に着いて、西の方向が見えます。東松浦半島、唐津方面です。
海岸に降りてきました。玄界灘の海は青く澄んで、奇麗です。
芥屋の大門(けやのおおと)が尖がっています。
夏には、海水浴客で賑わいます。
サンセットロードを通って、立石山の西の海岸にある「またいちの塩」工場へ行きました。
何の行列かと思ったら、塩プリンを買う行列でした。
沖から海水をくみ上げ、塩田ではなくこの竹の枝に海水を循環させて何回も掛けて、
水分を蒸発させて、それを釜で煮詰め塩を作るそうです。
コストがかかるので一般に売っている食塩の10倍以上するようです。
煙突から釜の煙が出ています。大勢の人が見物に来られています。
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実は私は吹奏楽が大好きです。今回は川口先生が体調不良でお休みでしたが、
先生の指導が良いのか、吹奏楽部員がのびのびと楽しく演奏します。
見ている方も楽しくなります。演奏中は撮影禁止でした。
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「戸上隼輔君の応援に東京へ行き、今帰り着いたところ」と。
戸上選手とお知り合いが、どういう関係か聞いたけど、色々しゃべっていたら忘れてしまいました。
戸上選手は三重県の人だったと思いますが、お父さんが南関出身らしいです。
そこで近所のスーパービッグオークの駐車場にお祝い看板が出たらしいです。
張本選手との決勝戦で、優位に試合運びをしていましたが、逆転敗退で2位でした。
ちゃんと調べて書き加えます。
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その時に咲いていたのは、何かちっぽけで風采が上がらない桜の開花でしたが、
今日は見事に奇麗な桜の花です。
椿はまだ恥ずかし気に咲いています。
相変わらずロックバランシングが出来ています。
ロックバランシングの技術を受け継ぐ少年が、挑戦しています。
これは、南関町肥猪の南関東工業団地(なんかんひがしこうぎょうだんち)の、
荏原製作所工場増設工事です。
菊陽町のTSSMC半導体工場の重要な機械が出来ているらしく、大忙しです。
従業員駐車場が広い隣の敷地にあります。
これはポケットカメラで撮ったものですが、たまによく写ることがあります。
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今月の山は「三池山」、この写真は今年の元旦の日の出前に撮った「三池山」と南関町風景です。
この三池山の南、左側の南関町長山 山口部落から登りました。
宮尾のT字路の手前300Mから右へ入ります。
向こうに新幹線の高架が見えます。右へ行くと新大牟田→博多、左は新玉名→熊本方面です。
新幹線が、三池山を潜るトンネルをちょっと出て、すぐ向こうの小岱山を潜るトンネルに入ります。
トンネルで地下水の水脈が分断され、農業用水、飲料水の確保に設備が必要になっています。
山口地区水利環境組合の施設です。
舗装道路から35分歩いて、登山道路へ入ります。
三池山教楽木コースから登るのは初めてです。
竹林が多く、手入れがされていないので荒れています。
70分で1.6Km登って、あと1.5Kmで三池山です。
だいぶ登って、あと800mです。
大牟田と南関の分水嶺が見えてきました。
登り始めは小雨が降っていましたが、頂上に近づいたら晴れてきました。
晴れ男、晴れ女の集団ですから。
三池山山系の一番南の、鳴川山山頂です。標高359m。
左の山は小岱山です。有明海が広がっています。
眼下に遊園地のグリーンランドが見えます。
沿岸道路の橋のアーチの左に、イオンモール大牟田が見えます。
鳴川山を北に下ると、南関町九重山付から登って来る登山道が右にあります。
東屋が目印です。
久重・長山線は400mしかないそうで、三池山に登るには一番楽コースです。
大牟田市の地域FM放送「FMたんと」の送信アンテナです。
ここから大牟田荒尾みやま、そして南関へFMラジオの電波を送信しています。
北の三池宮から数えて一番南に鳴川山、そしてこの「茶臼塚山」山頂です。
これから北へ下ってまた登ります。
やっと三池山に着きました。標高388mです。山口でバスを降りて1時間50分。
案内図です。右上の山口から西へ林道を歩き、途中から登山道へ。
途中で右へ曲がり、地図の石地蔵方向へ。鳴川山へ着きました。北へ降りてあずまや。
そこから登って茶臼塚山、下って登って三池山です。これから北へ、二ノ山。
さらに北へ、三池宮のある今山岳がゴールです。
ここは急坂の下りで、ロープがにすがって下ります。
そしてまた登ると、
南関方面が見える三池宮に着きます。大津山が遠く下に見えます。
晴れて良かった。
これは二城山です。山腹の太陽光発電所が微かに見えます。
お昼の食事会会場のホテルセキアが、意外と近くに見えます。
ここ最近雨が少なく、三池のうち少し高い池は全く水が無く干上がっています。
次の池は、イノシシがミミズを採るため掘った跡があり、少し水たまりがあります。
三つ目の池は、イノシシが水浴び出来るくらいの水があります。
下から急坂でかなり長い石段があり、神社の社殿があります。
大牟田市の市街が見えます。
下りは凄い急坂のコースでした。石段の手すりと、急坂に掛けてあるロープを頼りに下りました。
スリル満点の楽しいコースです。以前登ったマムシ谷コースもきつかったけど、
山付から先ほどのあずまやに着くコースは楽すぎます。いくつもコースがあります。
これは「たぬきの貯めぐそ」でしょうか。
あと少しで林道です。
林道に降りて来たけど、まだ1.4Km下ります。
おいしそうな野いちごがあります。今がイチゴの季節でしょうか。
右に林道が続いています。この先にレストランやまひこがありますが、
以前の豪雨で道が崩れています。
もう通れるようになったのでしょうか?
どこの竹林も荒れていますが、ここの竹林は手入れが届いて良いタケノコが採れるのでは。
この先までバスが迎えに来ていました。さあホテルセキアのバイキングレストランでランチです。
ホテルセキアの玄関を入った所のミニ大蛇です。
山登りクラブは、シニアが多いです。1650円で温泉付き。ラッキー!!
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これは朝焼けかな?。天気が変わる前兆らしい。
朝起きたら、真っ白。(ネットを張っているのは、猫が逃亡しないためです。)
今年の冬は暖冬で暮らしやすかったのですが、大寒になったら冷えてきました。
大津山が雪化粧です。手前に見えるのは、南関高校が閉校になり南関町役場です。
セキレイが川遊びです。
まだまだ雪が降ってきました。
私の愛車はすっぽり雪が積もっています。
前回掲載した、久留米水天宮総本宮から受けてきたお札を、我が家の近くの水天宮に収めました。
前回掲載したとき、写真が縦に撮ったのを横にして、変になっていました。これが本当の姿です。
我が家の仲の悪い猫たちが、外に出られず仲良く雪を眺めています。
大津山から阿蘇山の雪景色を眺めました。左から、
鞍岳、高岳、噴煙が上がる中岳、杵島岳、烏帽子岳です。
昨日から阿蘇山警戒警報が、安全な?から、1km以内進入禁止の?になりました。
噴煙が多いように見えます。
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この写真は縦に撮ったのが横になってしまって上下が圧縮されています。すみません。
そこで久留米筑後川沿いの水天宮総本宮にお参りに行きました。
由緒ある神社です。読みにくいですがご覧ください。
JR久留米駅からすぐです。新幹線も在来線も一緒の駅です。
この左に筑後川が流れています。
軍艦千歳の記念碑があります。大東亜戦争で活躍したそうです。
眞木和泉守は明治維新の中心的指導者で、ここ水天宮の宮司だったそうです。
住まわれていた建物を模してここに残されています。
さすが総本宮です。堂々とした神社です。
川の中にカモが浮かんでいて、数羽が河原に上がって、草の実を食べています。
我が家の下の免田川のコガモの方がおしゃれでカワユイ。
すぐ近く、川上に梅林寺があります。
お清めの柄杓の取っ手が、竹の枝をそのまま使ってあります。
アッ、梅が咲いている!!ラッキー。
去年も今頃来たけど、全く固い蕾でした。今年は暖冬だからでしょうか。
ここから先は、500本の梅林です。
突然鳥の大群が飛んできました。この画面に写っているのはほんの一部です。
左右にある椋の木に実がまだ落ちずに沢山生っています。
これをめがけて来るのは、ムクドリでしょうか。
今日久留米に来たのは、能と舞囃子を見るためです。
言葉がわかりにくいので、現代語訳した台本をネットで出して、印刷して来ました。
「よろぼうし」中々良かったですよ。「とおる」は光源氏のモデルと言われているそうです。
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大津山頂上のせっつぁん達が植えた山桜が、咲いています。
1月12日に登った時に咲いていましたが、スマホでも小さなカメラでもうまく撮れませんでした。
今日はまともなカメラで撮りました。
頂上で一緒になった4人組の親子連れと一緒に井弥原の堤まで降りてきたら、
(お父さんが抱っこひもで赤ちゃん連れです。)
カモが15羽います。
我が家の下の川では、2組のペアがいて、手前のペアは仲良ししているのではなく、
喧嘩をしているところです。
この後、メスに抑え込まれてオスがバタバタしています。
何をして奥さんを怒らせたのでしょうか?
クサシギと思いますが、
霧の中にサギが水墨画気取りでポーズを取っています。
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明治15年(1882年)1月11日、当時最新鋭の「竜吐水」購入を祝って「標的落とし」が始まったそうで、
今年は142年位なるのでは。
絶好の日和です。ムクドリが喜んでいます。
カチガラス(カササギ)も集まって上から見物しています。
朝6時にカーンカンカンカン♪と叩かれた半鐘です。
消防自動車がずらりと並んでいます。今日の晴れ姿のために磨かれています。
第一会場の南関町役場前の防災広場です。先日ドクターヘリが発着したところです。
8時15分ごろからは始まったと思いますが、今式典があっています。
国旗掲揚・観閲・ポンプ操法模範演技・小隊訓練などがあったと思いますが、遅く行ったので終わっています。
第一会場の防災広場から、第二会場の関川河畔へ行進です。
先頭に団長、次に骨董品の纏持ち、その後ろはカッコイイ女性消防団です。
第二会場ではまず消防自動車の一斉放水です。
デコ車(飾り付けが豪華な車)(痛車)です。
消防自動車の一斉放水に一斉カメラ激写です。今日は凄カメラ持ちのカメラマンが多い。
普通の虹はよっぽどの広角レンズでないと撮れませんが、小さい虹で、初めて左右まで撮れました。
これはまた古風なヘルメットです。江戸時代に見えます。
いつもは顔が見えないように細工するのですが、丸出しでごめんなさい。
これから始まる玉落とし(竿頭標的落とし)とひっかけご(放水合戦)の主役は、
大正時代の鏑木(手撞き)ポンプです。(腕用ポンプ)
第一分団2部のは、大正14年新調と書かれています。99年前です。
製造所でしょうか販売店でしょうか、博多行町 篠崎鐵工所と表示があります。
実は右岸の河川改修で、水面から道路が高くなり、
給水管が届かず、長いのが必要なので新調されています。
これは最新型で、昭和29年製です。
この鏑木ポンプ(腕用ポンプ)で玉落としです。1分かからず落ちました。
ラッパ隊が、突撃ラッパ♪放水はじめ♪を吹き、玉が落ちたら放水止め♪を吹きます。
ラッパ隊のレパートリーは、起床、国旗に敬礼、観閲者に敬礼、表彰、葬送、行進曲、駆け足・・・
まだまだあったと思いますが忘れました。楽譜があるのはありますが、耳で覚えます。
一等席はカメラマンが踏み台に乗って撮影するので、後ろからは見えません。
玉落としは、ここから鏑木ポンプを引っ張って走ります。
先頭に走るのは、ポンプに向い水を入れるためバケツを持って川に飛び込む係です。
長い棒を持っている人は、手つき用の棒です。ポンプの左右に取り付けて各4〜5人で撞きます。
丸くまとめて肩に担いでいるのは、給水管でポンプに取り付けて川の水中に浸けます。
玉落としが終わると、右岸・左岸に分かれてひっかけご(放水合戦)です。
左手前のポンプは吸水性能が悪いので、川の中に入れて水中ポンプとして撞いています。
何しろ大正5年1月購入の野々村製作所製ですから、108歳です。
108歳のポンプの管槍は、川に入って相手陣地に近づかないと放水が届きません。
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「こいつは春から縁起がいいわい」「見る人も無き奥山の初桜」凡人作。
またまたロックバランシングの新作。微妙なバランスで、風が吹くと崩れます。
大津山公園キャンプ場。元日の朝はテントが4張りありました。
私の感覚では、キャンプは夏、キャンプファイヤーと酒盛りですが、
今は様変わりで一年中、ソロキャンプも多いらしい。
キャンプの跡には火を燃やした痕も無く、皆さん行儀が良いです。
南関町役場も隣接して関係しているので、希望で吉野桜を数十本植えるそうです。
近隣のキャンプ場は、御牧山、小岱山丸山、他にもありそうです。
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消防出初式は、1月の第2土曜日の13日(土)に行われます。
6時に起床ラッパ。8時から南関町役場の防災広場で式典。9時15分から分列行進。
10時30分から、免田川、ビッグオークの裏の川で
一斉放水、玉落とし、ひっかけごが行われます。
今年は洪水予防のため、免田川の様子が一変しています。
右岸が以前は桜並木の土手でしたが、コンクリート堤防になってしまい、勝手が違います。
どうなる事やらちょっと心配しています。
これは昨年の、大正時代から昭和初期の鏑木(手つき)ポンプによるひっかけごです。
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写真公開後に文字を入れ始め、やっとできたら何を間違えたのか画面が変わり、文字が消えてしまいました。
再度やり直します。
また今年も「難関突破 十八社詣で」が始まりました。
南関町にはたくさんの神社があります。その中から十八社を選んでスタンプラリーをします。
始まってからもう10年以上?なるような気がします。
今年は一小校区が二社と少ないので広範囲に巡らないといけません。
頂いた御朱印表には「肥猪町熊野座神社」と表記されていますが、
鳥居には「八幡宮」となっています。
私の神社の知識は頼りないのですが、八幡宮は武勇、出世開運、熊野座神社は農耕の神様かな。
実は人口の減少と信仰心の衰退で、2つの社を一カ所に纏めたのではと思います。
それでもこの社を維持するのは40世帯とか。
それにしても絵馬が素晴らしい。彩色が新しいのがあります。
これは日露戦争ではないでしょうか。
相ノ谷の 「三霊宮」です。説明では「熊野三社の神」だそうです。
左下にもう一つ参道があり、西の参道からは直角に曲がります。
この社にも絵馬が沢山飾ってあります。有名な歴史の一シーンでしょうが、
説明がないのでわかりません。
小原菅原神社です。境内に「祇園神社」があります。菅原神社は菅原道真公で、
祇園神社は須佐男命(スサノオノミコト)のようです。神楽が南関町無形文化財だそうです。
菅原神社で拝殿には「天満宮」の額です。
イチイガシとしては巨木です。
こちらが「祇園神社」と思います。飾りが面白い。
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いい香りです。
ツツジの茂みに大勢のスズメが休んで、おしゃべりに夢中でした。
カメラを向けたら、カメラ嫌いのスズメは飛んで行ってしまい、4羽がポーズを取ってくれました。
この右のスズメは寒いのか、羽毛を膨らませています。
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昨年は、ウクライナに侵攻したロシアの戦闘が治まらないのに、イスラエルとハマスの戦闘が勃発し、
いずれも収まるどころか拡大しています。
そんなところに、元旦に大津山登り2回目を下って来たらニュースで、
日本では能登半島大地震があったと。
そして2日には、羽田空港でJAL旅客機の炎上と。
どうもいい年ではないようです。
我が家ではあんこ餅を焼いたら2個ともあんこが爆発。
救急車と消防自動車がけたたましく通って行きました。
ふつう救急車は帰りは静かに通りますが、帰りもピーポーを鳴らして通ります。
直後にヘリコプターの轟音が聞こえました。
これは南関町役場の防災広場にドクターヘリが着陸した音です。
病人かケガ人か、申し訳ないけどやじ馬で見に行きました。
患者さんの容態をチェックし、救急手当てをして、どこの病院が最適かを検討されているのでしょう。
この防災広場は、消防署の前であり、南関町役場の前です。
広場は芝生で、発着の時埃はほとんど舞い上がりません。
すぐ飛び上がりました。熊本市まで10分間あまりで着くそうです。
やじ馬で見物するのは、あまり褒めたもんではありませんが、
火事、交通事故など見ておくと自分が用心し、気構えが出来るような気がします。
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大津山中腹から撮りました。空が茜色に染まっています。
大津山頂上で初日の出を見るため、暗い登山道をヘッドランプを頼りに登りました。
南関町はまだ夜明け前です。
大津山頂上から初日の出です!!
今朝の大津山頂上は、若い人が多いです。
北からの車道は、サザンカがきれいに咲いています。
大津山公園に隣接して造成中のキャンプ場は、もう何組かのテントが見えます。
まあ年の暮れから年越しをキャンプのテントでとは、私の常識では考えられないことです。
夜中に雨が降って寒かったろうに。行儀が良くて焚火の跡もありません。
ソロキャンプブームの火付け役の「ひろしさん」は隣町荒尾の人です。
大津山阿蘇神社は初詣の参拝者で大賑わいです。行列が出来て順番待ちです。
大津山頂上の登山記帳は67人と少なめでした。
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昨年中は拙いブログにご来訪頂きありがとうございました。
おかげさまで12月は6000回のアクセスを頂きました。
ここ数年動画に負けてアクセスが減少傾向でしたが、ブログの良さもあるのではと思います。
年間100万回を達成するとひょっとしたらブロガーとして生活できるのでは?と頑張ります。
本年もご来訪よろしくお願いいたします。
この似顔絵は、南関高校出身のJEROさんの作品です。
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でもやっぱり南関町では大津山の初日の出が一番!!
まだ暗いうちからヘッドランプを付けて登りましょうよ!。
これは令和4年の初日の出だと思います。7時30分ごろです。
大津山山頂には50人以上の方が、初日の出を拝まれます。
いきいき村の向かい側から井弥原の堤を抜けて、車で鳥獣供養の碑まで登れます。
そこからだと早い人は登山道を10分で頂上です。
いまはサザンカの咲いた道です。
昔、頂上のお城が攻められないように堀切が数か所作られていて、今はそこに橋が架かっています。
その4ケ所の橋それぞれに、ロックバランシングが出来ています。
おそらく大牟田市の藤木さんが作られたと思います。建築設計などをされているベテランです。
頂上には最高傑作のロックバランシングが出来ています。
早く見ないと風で崩れます。
今日はカスミが架かって阿蘇や普賢岳は見えませんでした。
これは先週撮った、阿蘇の山々の冠雪です。
桜の葉が最後の一葉を残しています。明日には散り、新しく芽吹き始めている葉と交代です。
皆さんが記帳されている「大津山登山記帳」は今、第八集を大津山阿蘇神社拝殿に置いています。
令和6年元旦の特別ページの準備が出来ました。
10月までの分をお祓いしてもらいますので、ぜひ記帳してください。
鳥獣供養の碑の左側に、ロックバランシングが出来ていました。
このバランスは絶妙です。
大津山阿蘇神社の楼門の左に、松尾芭蕉の句碑があります。
その右に南関俳句会の短冊掲示板があります。
老朽化していましたが、基礎をコンクリートに改装されて立派になりました。
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ここ数年ユーチューブをはじめSNSが多岐にわたり、私のブログ訪問される方が減少していましたが、
ここ数ヶ月増加の傾向です。年間5万回行けそうです。
動画はありませんが、マイペースで見れるところがいいと思うんですが。
で、大した話題もありませんが、ご覧ください。
これは南関町宮尾の小岱山への途中、「石窯ピザ カポック」から見た大津山です。
これは、三池山の中腹のレストラン「山荘 山彦」から見た大津山です。
大津山頂上にまたも石積み「ロックバランシング」が。たぶん藤木さんの作品でしょう。
我が家の西日が良く当たる所のアロエに花が咲きました。
よそのガザニアには良く花が咲いていますが、我が家のはやっと一輪だけ咲きました。
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南関高校同窓会報「大津山」29号が出来ました。
12月の始めに、同窓会費を頂いた会員の方へは郵送をしています。
南関高校跡に新設された南関町役場庁舎の一部をお借りして、
南関高校歴史資料室「南高の杜」が開室して1年余りが経ちました。
校舎の北西の離れ屋、南関高校時代の被服室跡です。
毎月10日と22日が開室日です。ぜひお立ち寄りください。
・・・
竜瀬川の風景が一変しました。
熊本市から南阿蘇への道路にある道の駅「萌えの里」の駅長かな?福山さんです。
周囲に広大なお花畑があり、秋はコスモスがきれいです。ここの少し先に俵山登山口があります。
・・・
また、「南高の杜」は、同窓会会則に則り、地域文化に貢献するため部屋を活用してもらっています。
収入に対して支出が多く、段々たくわえが減少しています。
同窓会費の納入をよろしくお願いいたします。
このブログの前回にも掲載したページです。
「南高の杜」には卒業生が丹精を込めて描いた絵画が100点ほどあり、日の目を見ず眠っています。
もったいないので商店街の「道の駅ゆた〜と」で令和6年4月に展示会をする予定です。
このブログを担当しているのは福田弘秋です。同窓会の顧問で、理事ではありません。
モノを言うだけで理事会での議決権は無く、気楽な立場で適当に掲載しています。
たまにはブログを覗いてください。ご意見ご要望がありましたらコメントをください。
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8チームで、第一走者は女子です。ガンバレ!!
一位は小原チームです。
南関町高久野あたりから、大きな煙が見えていました。近づいたら、
稲刈りあとの残った藁を燃やされているのでしょうか。
二城山の小原の上に出来た、大規模な太陽光発電です。
三池山の中腹の「山荘やまひこ」から撮りました。
お昼過ぎに火事のサイレンがけたたましく鳴り響きました。外へ出てみたら、関村が火事です。
この右上に、農業用の溜池が二つありますが、どちらも雨不足で干しあがり、水利が遠く、
中々消火が出来ません。
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恒例の年末行事「松風音楽村 音楽フェスティバル 2023」が
12月17日(日)にうから館で行われます。
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八天神社から登る429mの山です。
仁比山(にひやま?)公園の駐車場に停めて、八天神社へ向かって、
車道を登って下って歩きます。
土器山八天神社です。最初の字「土」の右上に「、」が付いています。そんな字があったかな?
土器山の頂上に上宮があり、ここでかわらけを200円納めて頂き、
願い事を書いて上宮に祈願します。
土器山八天神社社殿です。
9時40分に17人で登山開始です。
ウクライナやパレスチナのガザの塹壕を思わせる登山道です。
大部分は風化した花崗岩で、砂粒がザラザラしています。雨水で削られています。
メンバーの女性の皆さんはスマートで美人揃いで、狭い登山道路を難なく通れます。
中宮菩堤寺に着きました。平安末期からここには建物があったそうですが、
廃仏毀釈の頃から建物は崩壊して、
大きな石に彫られた仏像だけが残っているそうです。
まだまだ塹壕風の登山道が続きます。
親不孝岩に着きました。
この立ち姿のいい人は、高所に登るプロです。何の仕事をされていたのかな?
この先は目もくらむ断崖絶壁です。
背振山の頂上は、自衛隊のレーダーがあります。
1時間30分かかって頂上に着きました。これがご神体の岩でしょうか。
私もここに願い事を書いた土器(かわらけ)をお供えしました。かわらけとは、素焼きの陶器で、
お皿の形をして、お正月にお屠蘇を飲むのに使います、正しいかな?
この大きな岩の間へ投げ込んで割る人もいます。
阿蘇の俵山近くの免の石は、熊本地震で落ちましたが、この岩は中々落ちそうにありません。
下山途中で、坂道が風化した花崗岩の砂粒でザラザラしていて、
すべくりたわして、うったわして、むこずねばうっぺすって、すりむけた。
(意味の分からない人は飛ばしてください)
メンバーの皆さんにご心配をおかけし、お世話になりました。<(_ _)>。
かわらけに「元気に過ごせますように」と願い事を書いたので、何とか下山できました。
仁比山(にひやま?)公園に着きました。大きな公園です。
大きく立派な歩道橋があります。雨が少ないのに水量があります。
仁比山公園には、この橋を渡れば縁が結ばれ愛が育まれるという縁起のよい「愛のかけ橋」として人々に親しまれている「愛逢橋」(アイアイバシ)があります。この橋は全長60メートルの日本初の木造トラス構造となっており、平成7年(1995年)に完成しました。両岸には、仁比山神社と八天神社(ハッテンジンジャ)という縁結びにご利益のある神社があることからこの名前が命名されました。
遠くに、吉野ヶ里、佐賀平野、筑紫平野や耳納連山(みのうれんざん)が見え、天気の良い日には、はるか雲仙の普賢岳を望むことが出来ます。
また、春は桜の名所として、初夏にはあじさいが見ごろとなり、夏は公園内を流れる城原川(ジョウバルガワ)に涼を求める人々で賑わいます。許可を受ければ、バーベキューやキャンプなども楽しむことが出来る、ファミリーにお勧めの公園です。
ここの近くに「伊東玄朴旧宅 九年庵」があるそうで、
奥の中央、足場組みの藁屋根らしい。
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この看板がある家です。
この看板の絵は、はんだ付けなどをする電気鏝で、アイダホ出身のお嬢さんが
描いたアイダホの山並みと馬たちです。
会場は、南関町で英語を学べる環境作りをされている方の自宅兼教室です。
飾りつけは、アイダホyoung ladyが活躍してされたようです。
大勢の方が来られています。
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野良猫が捕まえようかと睨んでいます。
カササギはちっとも怖がりません。
猫をからかい始めました。至近距離まで近づきくちばしで突きます。
猫は捕まえようと手を出しますが、パッと避けてまた近づきます。
猫は捕まえるのを諦めて、仲良く並んでいます。
カササギが6羽、夕方の集会を開いています。
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熊本県玉名郡南関町小原883-1 電話0968-53-0234
今年は毎年に比し、ますます豪華なイルミネーションが点灯しています。
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南関町関町、日の出町の安国寺です。
南関町史から掲載しました。
下の「星まつり」の水行は、8人位の修行僧により2月の節分の日に行われます。
寒い!!
昔から「仁王さんの寺」として有名です。
夕日にイチョウが輝いています。
紅葉の向こうに関町が見えます。
再興三十年記念塔だそうです。
「国禱 大日本帝国国運発展 県下町村隆昌繁栄」
右が庫裏、左が本堂です。
本堂への道は、イチョウの落ち葉で覆われています。
地蔵菩薩でしょうか、左手に子供を抱いておられます。
その先に墓地、納骨堂、またその先に墓地があります。
西側に車道があります。
帰りに馬場の原を越えたら、野田窯の楓が真っ赤に色づいて、最高に奇麗でした。
大津山の手前の建物は、黒棒の橋本製菓です。
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ここは神社の東側の忠霊塔の先へ進むと、正法寺跡があり、その先です。
私はここが南関一の紅葉絶景と思います。午後に太陽が西に傾いた時の逆光がきれいです。
大津山阿蘇神社の拝殿の上が、やや過ぎていました。
大津山の登山道から拝殿を見下ろしたところです。
小学校5年生が、ロックバランシングに挑戦です。
写真操作がうまくいかず、縦のものが横になりました。
両手で上下を持って、バランスを取ります。
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「南高の杜」収蔵 南関高校生の絵画作品展が11月26日をもって終了しました。
多くの皆様にご来館いただき、ありがとうございました。
また、藏の主、戸田先生、和水町文化協会の福原会長をはじめ多くの皆様にお世話になり
ありがとうございました。
この後の12月のみんなの藏ギャラリーは、おとな美術展ー冬ー「光と影」が始まります。
メンバーに南関高校卒業生の清田さと子さんがおられます。
作品ジャンルが色々あり楽しそうです。入場無料です。ぜひお出かけください。
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「九州オルレ奥豊後コース」へウオーキングです。
南関町から阿蘇を通て2時間半、
豊後大野市朝地町 用作公園(ゆうじゃくこうえん)からスタートです。
用作公園の心字池。池が心の字の形なのでしょうが、いい心を持たないせいか心に見えません。
大野城近辺では紅葉の名所だそうですが、今一です。ちょっと早かったのかな。
下の写真はちょっとテクニックを使って、色を増してみました。
紅葉見物の方が多く訪れていて、お店が繁盛しています。
美女が3人、まだ11時というのに早弁をしています。
天満宮さんが祀ってあります。
名句が並んでいます。左側にも6句ありました。
オルレコース。さあここから9km田舎道を登ったり下ったり歩きます。
イチョウがきれいに色づいています。
銀杏がびっしりと実っています。採ってバスに持ち込まないで。すごい匂いになるから。
山茶花サザンカ咲いた道。
もうすぐ普光寺です。
40分ほど歩いて「普光寺」に到着。ここの本堂にはピアノがあります。
谷の向こうの岩に洞窟が掘ってあります。
いつの時代か良く読めません。鎌倉時代?
摩崖仏。凝灰岩の垂直絶壁に、不動明王が高さ20m、幅10mの大きさで彫ってあります。
足場組から作業をどうしてされたのでしょうか。
大きな洞窟です。
摩崖仏の下の谷は、アジサイが沢山あります。6月中旬にはアジサイが咲き誇るそうです。
さあまた東に向かって歩きます。登ったり下ったりの道です。
1時間半歩きました。ここを下ると十川(そうがわ)に着きます。
十川を渡ります。橋の銘板には「獨淵川」「挟田橋」(ちょっと字が違うようです)。
地名などの文字や読み方が難しい。
あと1200m位で岡城跡の裏口に着くようです。8km地点。
十川の柱状節理、柱状の大きさが大きい。
ここしばらく雨が降っていないのに、水量が多い。奥の山の上に水力発電のダムがあるそうです。
岡城跡の裏口に着きました。表の入り口まで1kmくらいあるようです。
裏口には門番がおられません。入城料が要るのですが。
この石碑は、表入口にありました。
延々と坂を上ります。
こんなところに三角点があります。石垣の上にもっと高い所がありますが、
自然の丘としてはここが一番高いのでしょう。
東西1km位ありそうです。自然の断崖絶壁と石垣で堅牢に出来ています。
かなりの落差があります。落ちたら危ない石垣です。
二の丸広場に着きました。
久住山が一番奥に見えます。
滝廉太郎の銅像があります。
この右側に休憩室があり、中にピアノがありました。
私たちのメンバーにピアニストがいて、ピアノに合わせて「♪もういくつ寝るとお正月♪♪・・」
の合唱です。
東の正面入り口駐車場から見上げると、難攻不落のお城です。
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和水町太田黒の「みんなの藏」で岩下小太郎さんの肥後琵琶語りの会がありました。
南関高校生が描いた絵画のギャラリー会場でありました。
先日の南高の杜のイベントに出演していただいたコタローさんです。
肥後琵琶語りは昔から目の見えない方の仕事でした。
点字や点字楽譜をモチーフに色や形をアレンジしたアート作品を手がける
ブレイルフレンドリープロジェクトの加藤英里さんの企画です。
南関高校生の絵が展示してあるギャラリーでの演奏です。
40席ほど用意してありましたが、立ち見が出るくらい盛況でした。
南高の杜収蔵 南関高校生絵画展が10月に続き11月26日まで延長となりましたので、
11作品を追加しました。スペースの都合で床置きです。
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そしてお隣の山鹿市も栗の大産地です。
山鹿市のよしえちゃんの店「だるま餅屋」では、特産の山鹿和栗を材料に「山鹿羊羹」が名物です。
私は大好きです。
我が家のミニトマトは、まだたくさんの実を付けています。
今年は大当たりの収穫です。
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南関町役場防災広場です。
この日は人出が多いので、南関高校歴史資料室「南高の杜」を開室されるそうです。
大津山頂上は、あまり紅葉はありませんが、黄色に色づいています。
すこし写真処理、彩色を強くしています。
大牟田への道路、上内峠です。
すみません。最近横のものを縦にしないぐうたらになりました。
?ここに何を捨てると、どうなって、どうされるのでしょうか。
たぶん「ここに一万円札を捨てると、大牟田市への寄付となり、大牟田市長から感謝されます。」
ここで彼氏(彼女)を捨てると・・どうなるでしょうか?
正解は大牟田市にお問い合わせください。
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権現山、通称かめやま。紅葉が見えます。
奇麗ですが、登っても見晴らしは無く楽しくなかった。
ムクドリが大勢来ましたが、すぐまた飛んでいきました。畑を荒らします。
柑橘類がびっしり生っています。
大きな実で、枝が無理をしています。あまり実を付け過ぎで事業自得だ。
似顔絵画家のJEROさんに描いてもらいました。
私の鼻の下が長いのは、前日の夜にもてすぎたからです。家庭争議のもとでした。
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そのコースで登ろうとしたら、進入禁止と!!。
これはまた高度なテクニックの石積みです。ロックバランシングアートというのかな。
たぶん大牟田市吉野の建築設計士の方でしょう。
種も仕掛けも無く、バランスで立っています。すごい。
この大津山登山コースは、昔お城があった時代に、空堀が数か所ありました。
橋が無かったころは、空堀を下ってよじ登って頂上へたどり着きましたが、
地方再生資金で登山コースの整備がされ、空堀に橋が架かりました。
頂上に一番近いこの橋は、かなり深い空堀です。
「このはし(端)渡るべからず」ですから、
端を通らず橋の真ん中をコツコツ叩いて安全確認をしながら渡りました。
エッツ!新しい桜の葉が出ている!!
南関町は、稲刈りがおおかた終わり、平和な佇まいです。
「大津山 ここのお宮のみわたしを 族(うから)がものと 吾ら涼しむ」白秋
またシジュウガラが挨拶に来ましたが、逆光でうまく撮れません。
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nankankoukou.jugem.jp
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富岡城は良く整備されています。
富岡城のある島から苓北町が見渡せます。これは砂洲が発達したものでしたかね?
イルカセンター2階のレストランに面白い掲示がありました。墨の跡を見ると手書きです。
すぐ近くに島原半島が見えます。このあたりがイルカウオッチングの場所かな?
帰りは干潮で、御輿来海岸の砂浜が良く見えました。
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天草市栖本町のことぶき旅館、よく言えば老舗、昭和レトロの雰囲気の旅館です。
ホテルで味わえない昔からの心地良い接待です。ほめ過ぎでした。
お風呂は小さいので、1km位はなれたカッパ温泉へ出かけます。
男湯の露天風呂です。
女湯の露天風呂です。男湯とえらい違いのいい雰囲気です。
エッ!君は女湯を覗きに行ったの!!
以前行ったことのある家内が、タッパーを持って行かないと「食べきらない分は持って帰れ」
と言われるよと聞いていました。ほんと新鮮な海の幸を主に、大ボリュームのおごちそうです。
刺身が美味い!!
鯛の塩焼きが大きい!!
栖本町の「かっぱ街道」を通って、天草下島の中央にある宮地へ。
宮地道の駅は大勢のかかしがお出迎えです。
もと学校跡の教室にも大勢のかかしが賑やかに勉強をしたり作業をしたり、祝儀があってたり、
幽霊屋敷があったり、数百人のかかしがお出迎えです。
南に下って、有名な崎津教会です。
左の柱に「撮影禁止」の表示がありましたが、気づかず撮ってしまいました。ごめんなさい。
トンビかな?
漁師町らしく猫が多いです。
この湾の出口に、出入りする船を見守ってマリア像が立っています。
小さいカメラですが良く撮れました。
好天に恵まれ、天草灘の海がきれいです。
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駐車場の西側から矢筈嶽への縦走の登山道があります。
説明されたように4WD軽トラなら通れそうな登山道です。
40分で矢筈嶽金刀毘羅宮に着きました。
周囲は絶壁の、狭いスペースに祀られています。
矢筈嶽です。さあキューピットに金の矢を貰って、ここからあの人のハートに向かって射ましょう!
♪観海アルプス2500尺の上で♪金の矢を放って、♪ハイ矢♪ハイ矢♪ハイ矢♪射止めましょ♪
丁度矢になりそうな竹が茂っていますよ。
おみなえし(女郎花)ではなくおとこえし(男郎花)の白い花、アサギマダラが好きな花です。
ツワブキの花もアサギマダラは大好きです。もっとも、フジバカマにはかないません。
矢筈嶽から倉岳駐車場へ引き返し、龍ヶ岳へはバスで移動です。
途中でお祭りがあっていました。賑やかな太鼓と男性踊り隊です。バスから降りて見物です。
奴さんは神社掃除用のはたき?を持って先導です。
後で調べたら行列の先頭を行く槍持ち奴で毛槍らしい。
立派な神輿です。担がなくていいようにキャスターが付いている最新型です。
登山クラブですが、龍ヶ岳は頂上近くまで車道があるのであと少しまでバスで登りました。
修行僧なら「懺悔 懺悔 六根清浄」と唱えるところですが、
10分とかからず壽ヶ嶽神社に着きました。(竜ヶ嶽と思ったら壽に見えます)
来年は竜年、来年がいい年になりますように、👏拍手。
観海アルプス龍ヶ岳展望所です。
対岸は八代です。日奈久あたりでしょうか。
すぐ下に龍ヶ岳の街並みが見えます。数年前にその海抜0メートルから登ったことがあります。
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九州自然歩道 天草観海アルプスコースの一部へ行きました。
まず、天草の最高峰倉岳です。
倉岳は頂上近くまで車道があり、ここは途中最初の駐車場です。
ここでも素晴らしい見晴らしです。
山登りらしく、登山道を登りますが、所々で車道と出会います。
♪観海アルプス2000尺♪お花畑で昼寝をすれば♪チョウチョが飛んできて♪キスをする♪
♪ランラランラ♪ランランララ♪・・
途中で何回もアサギマダラと出会いましたが、中々ポーズを取ってくれません。やっと撮れました。
20分足らずで頂上です。
♪「観海アルプス2500尺倉岳の上で♪ハイヤ節踊りをサア踊りましょ♪ハイヤ♪ハイヤ♪〃〃」
と踊りたいけど私は苦手で踊れません。
一段下がった所に、倉岳神社があり、そこからの眺めが最高でした。
「アルプス一万尺」の歌は、もともとアメリカの民謡で、日本人が元歌に関係なく歌詞を付けたそうです。
アルプスは日本アルプスのことで、尖がった岩がいくつかあり、その中の小槍が歌われています。
何と29番まであるそうです。倉岳とチョウチョと矢筈嶽で32番までできました。
これから縦走する矢筈岳が見えます。ずいぶん遠い。
この倉岳の頂上はけっこう尖がっていますが、何と井戸があり、
すぐ下に水が見えます。あら不思議。
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三川温泉の北隣の「みんなの藏」ギャラリーで、南関高校生絵画展を始めました。
門からぐるっと回って、ここがギャラリーの入り口です。ちょっとわかりにくい。
10月いっぱいの土曜・日曜の午後からです。
ぜひおいでください。
今日搬入し、展示しました。和水町文化協会の4人の方に手伝ってもらい、夕方には展示完了です。
和水町文化協会の方へ感謝です。
搬出するため埃を落とすときはまあ普通に見えましたがさすがギャラリー、
展示すると見事な作品群です。
2階には、階段が狭いので比較的軽いのや小型の作品を展示しました。
2階にも上がって見てください。
作品名、作者名、コメントなどが資料がなく不備です。
解られる方は、絵の下のカードに書き加えてください。
帰りに、和水町小学校のラッピングスクールバスに会いました。
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以前も同じのを掲載しましたが、再度宣伝です。
なお、下のPOPに「途中入替・・」と記していますが、
これはしないことになりました。
これは南関高校同窓会と関係がありませんが、
コタロウさんは琵琶語り「南高伝説」が演目レパートリーがあり、
お世話になっているのでここに掲載しました。
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