久留米座で能「箙(えびら)」と舞囃子「高砂」
- 2020.01.30 Thursday
- 22:39
古典芸能には知識がありませんが、誘われて能と舞囃子を見に行きました。
ネットでにわか勉強をしました。
能は「箙」えびらと読みます。
にわか勉強で、源氏と平家の戦い「源平合戦」の一部分だそうです。
久留米の「水天宮」は、壇ノ浦の合戦の後、平家の按察使の局伊勢(あぜちのつぼねいせ)
が、安徳天皇と平家一門をともらおうと、久留米の筑後川のほとりに祠を作ったのが始まりだそうです。
由緒が色々ありますが、勉強不足ですみません。
パンフレットがありました。
筑後川のそばに、悲運の幼帝を祀ってあります。
能「箙」は、源平一の谷の合戦で、源氏の梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)が箙(弓矢のショルダーケース)に梅の花を飾って戦った話です。
これは蝋梅で、梅ではありません。
そこで水天宮のとなりの梅林寺へ梅を見に行きました。
数多くの梅の木がありますが1月25日はまだ3%咲です。
夏目漱石の句碑があります。
もうすぐ満開でしょう。
禅寺にしては、立派な綺麗なお寺です。長い歴史と由緒ありそうです。
会場の近くの路地で「中華うどん」を食べました。
筑後地区は、能狂言が盛んな地区で、立派な能楽堂があります。
「高砂」は、何となく聞き覚えがあります。結婚式、披露宴に謡われます。
「高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろともに出汐の 波の淡路の島影や・・・」
みやま市高田町の新開地区では、神社で氏子の方が能狂言舞を舞われます。
子供も参加して、神社の能舞台でオープンです。無料で見れます。いつ頃でしたか年に一回です。
南関高校跡記念碑案
- 2020.01.24 Friday
- 16:22
南関高校跡の中を貫く道路の工事が進みだいぶ見えてきました。
南関高校跡公園(仮称案)スペースが出来ています。
南関高校跡記念碑をどうするか、案を考えてみました。
美術工芸コース第一期生の制作した、プール機械室の壁を残しています。
これを擁壁に張り付けたらどうかと思います。
江上先生の記念碑はも少し大きいです。
役場との交渉がありますが、検討してみてください。
オスプレイが南関上空を
- 2020.01.23 Thursday
- 21:52
南関町相ノ谷で、上空をオスプレイが2機飛んでいます。
数年前嘉手納基地で飛行場に駐機しているのは見たことがありますが、
飛んでいるのは初めて見ました。
ヘリコプターと同じくらい低空で飛んでいて、
音はヘリコプターより少し大きいかなと思いました。
熊本と宮崎で日米共同訓練が令和2年1月18〜30日にあるそうで、
それに参加するのでしょう。
南関町はよくヘリコプターが南下するのを見ます。飛行ルートでしょう。
北上するのは見ないので、このルートは南下だけのルートと思われます。
飛行速度は特に速いとは思いませんでしたが、飛行場が要らない飛行機で、
災害救援など、いざという時頼もしく見えました。
南関山登りクラブ「二城山とセキアで新年会」
- 2020.01.19 Sunday
- 22:01
南関山登りクラブ、今月は近場で二城山。保健センター前から町道を歩きます。
上り下りのえらい距離です。8時出発のミーティング中。
森の中の町道を延々と歩きます。上り下りの坂道です。
みかん山の上、町道が切れて、登山道の入り口です。
標高200mくらいでもうかなり高く登ったような風景です。
9時10分に登山道に入ります。
12分で軽トラックが通れる林道に出ます。
この道は二城山の東北側、金栗四三さんが生まれたなごみ町中林あたりから登れます。
頂上に着きました。318mとは思えない高山からの風景です。
そこで一句「わが里の 雲海見たり 山始め」やすこ
残念、雲海は夏の季語だそうな。
下りは馬立方面への登山道にしました。初めてです。
かなり勾配が急なところが多いコースでした。
18分で町道に出ました。
馬立観音です。建物の中に石造りの祠があります。
ぽつんと一軒家です。山登りメンバーの家です。
11時20分に無事農村広場に帰着。
12時からホテルセキアのバイキングレストランでお食事です。
先ほど登った二城山が見えます。